山登りを始めたきっかけ
本格的に登山を始めたのは37歳の時、きっかけは離婚でした。
連れ合い、子供たちと別れ、一人で暮らしていくことになった時、
何か自分の生活の軸になることが必要だ、といろいろ考えて、
たどりついた結論が山登りでした。
今から考えると・・・
家族を営むことに失敗し、挫折した自分を、もう一度鍛えなおそうとしたのかもしれません。
黙々と一人山を登るストイックな行為を、
人生と重ね合わせたのかもしれません。
そしてこの選択は間違いなくその後の僕の人生を豊かにしてくれました。
山登りを始めることを決意して最初にしたのは、登山靴を買うことでした。
でもどこで買えばよいかわかりません。
その頃はまだインターネットが普及する前でしたから、
簡単に検索してお店を比較することはできません。
山登りをしている知り合いに店の評判を聞き、
本屋の登山コーナーで雑誌を立ち読みしていくつかのお店を絞り、
仕事帰りや週末に寄って、店員さんの対応や価格を比較して、決断しました。
まだ革靴が主流でしたからごついイタリアの一番幅広の靴にしたのですが、
一日山を歩くとつま先は痛くなり、数日間の縦走では、血豆ができて靴下が赤くなりました。
以降も靴は長く悩み続けることになります。
とりあえず靴を手に入れて、まずは近場の奥多摩の山をめぐり始めました。
案内図を購入して、月に2回ほど三頭山、御前山、川苔山など名前の知れた山に挑戦しました。
そして山頂から眺めた山々をまた地図で調べて挑戦するという日々が半年ほど続き、
少し自信がついてきた頃、初めて避難小屋に泊まる山行に挑戦、それが大菩薩嶺でした。
その後テントを購入して、それを担いで山を歩くようになり、行動範囲は随分広くなります。
その頃離れて暮らす子どもたちは、週末になると僕のアパートに遊びにやってきました。
一緒に暮らしていたころからキャンプに連れて行って、遊びで山登りしていたので、
彼らが来ると山に連れて行くこともありました。
小学生だった子どもたちは、身体が軽くて僕よりも早く山を駆けました。
山小屋泊まりの山行やテント泊の山行にも連れて行き、
南アルプスや八ヶ岳や奥秩父では、あまり子どもがやってこないような高山でも平気で歩くので、
周りの大人たちに「すごいね」と誉められ、得意満面でした。
いつしか子供たちは中学・高校と進み、
自分の時間が忙しくて僕に付き合って山登りをすることもなくなりました。
それでも山登りは当時、僕にとって
子供たちとのかけがえのない“共有する時間”となったのです。
その意味でも山登りを人生後半の友に選んだことは正解だったと思います。
孫がもう少し大きくなったら、手を引かれて、当時子どもたちと一緒に立った頂きに登りたい。
ウィスキー片手に地形図を眺めて、そんな夢を育むこの頃です。